中島惣社 春祭

大阪市東淀川区東中島4丁目9-41

孝徳天皇の白雉2年(651年)、難波長柄豊崎宮に遷都した際に創建され、五穀豊穣を祈願されたとされている。それに伴い、神領を賜って います。豊臣秀頼の崇敬が厚く、「中嶋総社」の四字を記した絹地一通が寄進されました。しかし、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣の兵火によって社殿が焼失し、わずかに絵図と建武2年(1335年)の木額だけが残っただけでした。
その後、1872年(明治5年)、郷社に列し、1896年(明治29年)、稲荷神社から現在の社名に改めました。1907年(明治40年)には神饌幣帛料供進社に指定されました。1908年(明治41年)に北方の天満宮、北中島の春日神社、南宮原の春日神社、西宇城の皇大神社、南方宮西の村社稲荷神社、北中島の天満宮、柴島の八幡天神宮、薬師堂の八幡天神宮、南方新家の稲荷神社、淡路天満宮、宇引江の宮の須賀神社を合祀しました。須賀神社は建武年間(1334年- 1336年)に有名であった刀鍛冶国次の勧請で創建されたものです。(国次の名前は、市設の霊園の名前、国次霊園として残っています。)中島惣社には、神楽殿・絵馬殿など多くの社殿があるましたが、1945年(昭和20年)6月7日の第3回大阪大空襲によって全焼した。現在の社殿は1987年(昭和62年)に再建されたものです。

明日 5月17-18日に中島惣社の春祭が開かれます。今回は、息子人が、私の定年退職祝いを熱海で開いてくれるため、訪問していません。写真は、春祭の前日の5月16日に撮影したものです。

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