聖徳太子はどこの生まれの人でしょうか?

聖徳太子はどこの生まれの人でしょうか?
答えは、奈良県明日香村橘寺です。

今日は、身体障害者の再認定のため診察の予約を取りに、奈良県立医大の脳神経外科を訪問しました。クルマで、阪神高速から、東大阪で近畿道に入り、松原で阪和道に入り、三原で南阪奈道に入り、国道165号線に入り、橿原市の奈良県立医大に行くという毎回同じルートを使って訪問しています。

そこで、毎回同じ質問として家内に聞くのですが、いつも答えを間違う問題です。「聖徳太子はどこの生まれの人でしょうか?」
なぜこの問題を家内に聞くかと言えば、間違った答えのが面白いからです。いつも南阪奈道路で「聖徳太子の太子町」という看板のところを高速で通るからです。正式には、大阪府南河内郡太子町です。1956年(昭和31年)9月30日に磯長村・山田村が合併して発足した町です。

ここには、推古天皇の摂政であった聖徳太子のお墓があるからです。十七条憲法や冠位十二階の制定、遣隋使の派遣などの進んだ政治制度や文化を取り入れ、政治改革を図った聖徳太子は、日本書紀によると推古29年(621)に亡くなり、磯長の地に葬られました。太子墓は径50メートル、高さ10メートルほどの円墳で、内部は精巧な切石を用いた横穴式石室です。太子と母君の穴穂部間人皇后、妃の膳郎女の3人の棺が納められていると伝えられることから、三骨一廟と呼ばれています。(太子町のホームページより)

太子町には道の駅があります。いつもは、道の駅葛城に行くのですが、この時期は、ちょっと遠回りの「道の駅 近つ飛鳥の里 太子」でフルーツもいいかもと思っています。今は、ぶどう、いちじく、すいかなどが旬です。

道の駅 近つ飛鳥の里 太子
大阪府南河内郡太子町山田2265-1
https://taishi-kankou.jp/michinoeki/

 

 

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